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小江戸川越 川越祭り研究

家光公 生誕400周年記念

写真と文・野良猫文乃

写真の撮影日はすべて平成十六年十月十六日(土曜日)


川越祭りとは

川越まつりは、日本三大祭のひとつで、
川越独特の山車を中心街を曳き回します。
起こりは江戸時代、当時の川越城主 松平信綱公 のすすめで始まり、
長い年月をかけて今の形になったそうです。


◎詳しいことをお知りになりたい方は
川越市HOME PAGE
    = http://www.city.kawagoe.saitama.jp

 ◎川越市川越駅観光案内所 
           п@049(222)5556

川越市役所 本庁舎
正面玄関前

川越祭りの間、あちこちに臨時の観光案内所が設けられました。(写真上)なんか寂しい…(のら)


川越祭りは夜が本番

山車と埼玉りそな銀行

夜の山車

準備中の  菅原町の山車



 

川越まつり
たかが川越  されど川越

かわごえの歴史

たかが川越されど川越。
原始時代には海沿いで海産物を採って生計をたて、
戦国時代には、織田信長の桶狭間の戦いにならぶ、
日本三大奇襲戦として名高い「川越夜戦」の戦場となった。
そして、江戸時代、徳川家康公逝去の際は 
喜多院であの黒衣の宰相と呼ばれた天海僧正が葬儀を数日かけておこなった。
 川越は常に歴史をうごかしていたのである。
しかし、それが川越を今の姿にしたきっかけであることも否めない。
何故なら、「小江戸川越」と呼ばれるように、
川越は、江戸の長所を持つとともに火事が起きたときに
対応が難しいという江戸の短所も持ち合わせていたからである。

川越の中心街には蔵づくりの街並みがある。街並みは川越市役所から、
本川越駅付近まで続くが、途中に大きな鐘楼があるのに気づくはずだ。
 この鐘は、江戸時代初期に建立されたもので、現在のものは四代目とされている。
 この鐘楼は、度々火事で焼けており、最後に焼けたのは、
明治二十六年(1893)三月十七日夜の川越大火である。


「時の鐘」の説明板

copyright Ayano Noraneko 2004


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